哲学が問い続けた「自己の謎」。その答えは、思考の波が消えた静かな海の底にある意識
【ステージ2】では、パフォーマンスの基盤としての「超越」を探求しました。 ここから始まる【ステージ3:人生と宇宙の法則を科学する】では、私たちの視野を「個人」から「宇宙」へと広げ、より根源的で哲学的なテーマに迫ります。
その最初の、そして最大の問い。 それは、「私」とは何か、です。
「私は誰か?」 「この『私』という感覚は、どこから来たのか?」
これは、人類の哲学が問い続けてきた、究極の「自己の謎」です。 私たちは普段、自分自身を「この体」「この心」「私の仕事」「私の記憶」といった、変化し続ける「属性」の集まりとして定義しています。
しかし、もし、それらすべてが「私」の「持ち物」にすぎず、「私」そのものではなかったとしたら? もし、「私」の本当の姿が、それらすべての「持ち物」が生まれてくる以前の、もっと広大で、静かな「源泉」にあるとしたらどうでしょう。
TM(超越瞑想)は、この哲学的な問いに、書物の上での「答え」ではなく、「直接体験」という形でアクセスする「意識のテクノロジー」です。 その答えは、サブタイトルにある通り、「思考の波が消えた静かな海の底」にあります。
「私」という「波」:海面で生まれる自己意識
私たちは、なぜ「自己の謎」が解けないのでしょうか。 それは、私たちが「間違った場所」を探しているからです。
シリーズ第8回で用いた「心の海」の比喩を、ここで再び深く探求しましょう。 私たちの心は、広大な「海」です。
私たちが「私(自我)」と呼んでいるのは、この海の「表面(海面)」で起きている、特定の「波」のことです。 この「波」は、外界からの刺激(風)によって立ち、他の波とは区別された「個別の形」を持っています。 これが、「私」という「自己意識」の正体です。 それは、周囲から分離し、区別された「相対的」な存在です。
私たちが「私は誰か」と「考える」とき、それは、海面の一つの「波」が、自分自身の「形」について、あるいは隣の「波」との違いについて、必死に分析しているようなものです。 しかし、波がどれだけ自分を分析しても、その「波」を存在させている「水」そのものの本質を知ることはできません。
「私」の起源:「存在」という「海」
では、「私」の起源はどこにあるのでしょうか。 それは、「波(思考)」が生まれる前の、「海(心の源泉)」そのものです。
『存在の科学と生きる技術』は、この広大で、静かで、すべての波の源である「海」を、「存在(そんざい)」あるいは「純粋意識」と呼びます 。
この「存在」の領域は、
・「絶対的」です(何にも依存せず、それ自体で存在する)。
・「普遍的」です(あらゆる場所に満ちている)。
・「統一」されています(そこには「個」という分離がない)。
哲学が問い続けた「自己の謎」の答えは、ここにあります。 私たちが「私」と呼ぶ「個別の波」は、独立して存在しているのではありません。 それは、たった一つの、普遍的な「存在の海」が、一時的に「波」という「形」をとって現れたものなのです。
「私」の起源は、「私(波)」にあるのではなく、無限の「存在(海)」にあるのです。
テクノロジーの核心:波が「海」に帰る旅
「では、どうすれば『海』を体験できるのか?」 波が波のままで、「海」を理解することはできません。
波が「海」を知る唯一の方法は、波立つことを「やめ」、静まり、波を起こしている「水」そのものに「帰り着く」ことです。
これが、「超越(ちょうえつ)」のプロセスです。
しかし、「考え(波立つこと)」を「やめよう」と「努力」しても、それは新たな「波」を生むだけです。 ここに、超越瞑想が「意識のテクノロジー」と呼ばれる所以があります。
超越瞑想は、心が持つ「常により大きな幸福へ向かう」という自然な傾向を利用します 。 「波(思考)」の魅力よりも、「海(存在)」の持つ「至福(アーナンダ)」の魅力のほうが、はるかに大きいのです 。
心は、何の努力もなしに、「考える」という海面の活動をやめ、 自らの起源である「深海(存在)」へと、 自動的に、そして自然に「沈んで」いきます。
超越意識:そこで「私」が見るもの
そして、心が「波(思考)」の最後のさざ波さえも超えた時。 「私(波)」は、その個別の形を一時的に手放し、 自らの本質である「海(存在)」そのものと一体化します。
これが、目覚め・夢・眠りとは異なる、「第四の主要な意識状態」、すなわち「超越意識」です 。
この時、意識は「何を」体験しているのでしょうか。 そこには「私」と「何か(対象)」という分離はありません。 意識が、意識の「源泉」そのもの、すなわち「純粋な存在」を、直接体験しています。
「私」という「波」が、「私は、海であった」と気づく瞬間です。
これは、哲学的な「理解」ではありません。 それは、「直接的な体験」です。 「自己の謎」は、思考によって「解決」されるのではなく、超越によって「体験」され、その結果、謎そのものが消滅するのです。
超越瞑想とは、 「私」が「私」を探す旅をやめ、 「私」が「私」の「起源」に 帰り着くための、 最も確実で、最も自然な「意識のテクノロジー」なのです。
まとめ
- 私たちが「私(自我)」と呼ぶのは、心の「海面」に立つ「波(思考)」のことであり、それは「相対的」で「分離」したものです。
- 「私」の本当の「起源」は、すべての波を生む「深海」、すなわち「絶対的」で「統一」された「存在(純粋意識)」の領域にあります 。
- 「自己の謎」は、「波」が「波」を分析する(考える)ことでは解けません。波が静まり、「海」そのものに帰り着くこと(超越)によってのみ、体験的に理解されます。
- 超越瞑想は、心の自然な傾向を利用し、意識を「波」から「海」へと導く「意識のテクノロジー」です。この「超越意識」(第四の状態)こそが、「私」が「私」の起源を体験する旅なのです。
「私」を探す旅は、 「外側」のどこにも答えはありません。 その答えは、 あなたの「内側」で、 思考の波が静まるのを、 ただ待っているのです。
さて、私たちは、 「私」の起源が、 思考を超えた「静かな海の底」にあることを 知りました。
では、この「静かな底」には、 私たちが縛られている「時間」という感覚は、 存在するのでしょうか。
次の記事では、 「過去や未来の悩みから解放される『永遠の今』を体験する」 と題して、超越意識の中で起こる、 時間の感覚が消えた「純粋な存在」の次元について、 さらに深く探求していきます。
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