【TM教師が解説する「超越瞑想」シリーズ2】集中も観察もしない瞑想法:なぜTMは他の瞑想法と一線を画すのか

なぜTMは他の瞑想法と一線を画すのか


その答えは、私たちの心の、最も自然な性質に隠されています。

「瞑想とは、心を集中させることだ」 「雑念を払い、呼吸を観察することだ」

多くの人が、瞑想に対してこのようなイメージを持っています。 そして、その難しさゆえに、多くの人が挑戦し、挫折してきました。

私たちは、「心を静める」ためには、多大な「努力」や「コントロール」が必要だと信じ込まされてきたのです。

しかし、もし、その前提そのものが間違っているとしたら? もし、本当の静寂は、努力によっては決して到達できず、むしろ「何もしないこと」によってのみ訪れるのだとしたら?

TM(超越瞑想)が他のあらゆる瞑想法と一線を画すのは、まさにこの点にあります。 それは、心をコントロールする技術ではなく、心が持つ本来の性質を利用して、自然にその源泉へと帰っていく「意識のテクノロジー」なのです。


心は「サル」ではなく「蜜蜂」である

私たちはしばしば、移り気な心を「サル(Monkey Mind)」に例えます。 次から次へと枝を飛び移るサルのように、私たちの心も一つの対象に留まっていられない、と。

だから、そのサルを静かにさせるためには、集中という「鎖」で縛り付ける訓練が必要なのだ、と考えがちです

しかし、『存在の科学と生きる技術』は、まったく異なる視点を提示します。 心はサルではなく、むしろ「蜜蜂(みつばち)」のようなものである、と

蜜蜂は、本質的に移り気なのではありません。 蜜蜂は、ただ一つのもの、すなわち「蜜」を探し求めています。 蜜のない花に留まる理由がないため、より魅力的な蜜を求めて、次々と飛び回っているのです

私たちの心もまったく同じです。 心の最も基本的な性質は、「常により大きな幸福の場へと向かう」ことなのです

今、目の前の仕事や、雑念よりも、「呼吸」や「一点」に意識を集中させようと努力するとき、私たちは心に何を強いているでしょうか。 それは、蜜蜂に対して「蜜のない花に留まれ」と命令するようなものです。

心が抵抗し、逃げ出そうとするのは当然です。 この「努力」や「集中」こそが、心の自然な傾向に逆らうものであり、新たな緊張を生み出す源なのです


なぜ「何もしない」が機能するのか?

もし、心のこの「より大きな幸福へ向かう」という性質を、逆らうのではなく、そのまま利用できるとしたらどうでしょう。

超越瞑想の革命的なところは、まさにここにあります。

この技法では、心の自然な傾向に一切逆らいません。 それどころか、その傾向を唯一の原動力として利用します。

超越瞑想では、認定教師による正しい指導のもと、その人の神経系に適した、特定の「マントラ」(音の想念)が与えられます

このマントラは、それ自体が分析すべき意味を持つものではなく、心を内側へ、より精妙な思考のレベルへと導くための「乗り物」として機能します。

そして、ここが最も重要な点ですが、思考のより精妙なレベルは、表面的なレベルよりも「はるかに魅力的」なのです

心が内側へ潜っていくにつれ、思考の波は静かになり、そこには、より大きな静けさ、安らぎ、そして幸福感が広がっています。 心は、より大きな魅力に引かれ、努力することなく、ごく自然に、その源泉へと向かっていくのです。

それはまるで、坂道を水が自然に流れ落ちるような、楽なプロセスなのです


「超越」— 努力の終焉

そして、ついに心は、思考の最も精妙なレベル、その最後のさざ波さえも超越(ちょうえつ)します。

それは、思考が生まれてくる以前の、広大で静寂に満ちた「純粋意識」の領域です。 これが、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが明らかにした、第4の主要な意識状態、「超越意識」です

この状態は、心の活動が完全に静止していながら、意識はかつてないほど明晰に目覚めているという、独特の体験です 。 これこそが、私たちの心の故郷であり、あらゆるエネルギーと知性、そして無限の至福(アーナンダ)の源である「存在」そのものなのです

他の瞑想法が「集中」や「観察」という努力によって、心の表面で静寂を「作り出そう」とするのに対し、超越瞑想は、心が自然に「静寂そのもの」である源泉に「帰り着く」ことを可能にします。

この技法は、心の知的な側面(哲学的な探求)や感情的な側面(献身)に頼るものではありません。 それは、知覚のプロセスそのものを利用した「機械的」とも言える、非常に直接的で自動的な道なのです


多忙な現代人にこそ「何もしない」技術が必要な理由

情報過多の現代社会で、私たちの心と神経系は、常に活動し、疲れ果てています。 私たちが求めているのは、これ以上、心に「努力」を強いることではありません。

私たちが必要としているのは、心と体が、その最も深いレベルで休息し、充電される時間です。

心をコントロールしようとする試みは、たとえそれが「瞑想」という形であっても、新たな緊張を生み出します。 『存在の科学と生きる技術』は、心を無理に静めようとする修行法は、心を鈍く、受動的にしてしまう危険性さえあると指摘しています

それに対し、超越瞑想は「安らぎに満ちた機敏さ」 という、活力を伴った静寂をもたらします。

超越瞑想は、信念やライフスタイル、知性や感情の成熟度に関わらず、誰でも実践できる「技術」です。 なぜなら、それは人間の神経系に普遍的に備わった「幸福へ向かう」という機能を利用するだけだからです。

多忙な人々にとって、これ以上習得に「努力」が必要なスキルは必要ありません。 必要なのは、座っているだけで自動的に「充電」が始まり、日々の活動を支えるエネルギーと心の安定性を、内側から育んでくれる技術です。

「何もしない」こと。 それは、心をその力の源泉に帰還させるための、最も洗練され、最も効果的な方法なのです。


まとめ

  1. 多くの瞑想法が「集中」や「努力」を求めますが、それは「より大きな幸福へ向かう」という心の自然な傾向に逆らっています 。
  2. 超越瞑想は、この心の自然な傾向を利用する意識の技術です。心は努力なく、より魅力的で幸福な内側の精妙なレベルへと引かれていきます 。
  3. このプロセスは自動的(機械的)であり、心は思考の源である「超越意識」(純粋な存在)の至福に到達します 。
  4. 「何もしない」ことは、心をその力の源泉に帰還させ、多忙な現代人の深いストレスを解消する、最も効果的で自然な方法なのです。

心の自然な流れに身を任せることで、 私たちは、努力して得ようとしていた、 あの静寂そのものに、なることができます。

さて、このようにして、私たちは努力なくして、心の奥深くにある「存在」の静寂に触れる方法を知りました。

では、この静寂が、私たちの日常生活にどのような影響を与えるのでしょうか。 なぜ、内なる静寂が、外側の人間関係までも変えてしまうのでしょうか。

次の記事では、**「イライラや不安はどこへ? TMが人間関係を改善する心理学的メカニズム」**と題して、あなたの内なる平和が、いかにして周囲の世界との調和を生み出していくのか、その深いつながりを解き明かしていきます。

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