【TM教師が解説する「超越瞑想」シリーズ17】なぜ私たちは幸福を追い求めるのをやめられないのか?

それは意識の根源が「至福(Bliss)」そのものだから。幸福は「求める状態」ではなく、あなたの「本来の性質」

「何を手に入れたら、幸せになれるだろうか」 「どうなれば、私は満足できるのだろうか」

これは、私たち人間にとって、最も古く、最も根源的な「問い」です。 私たちは皆、「幸福」を追い求めています。 それは、素晴らしい仕事、理想的なパートナー、経済的な成功、あるいは健康といった、「特定の状態」や「対象」の形をとって現れます。

私たちは、それらを手に入れさえすれば、ついに「幸福になれる」と信じています。 しかし、私たちは(薄々気づきながらも)知っています。 何かを手に入れた時の「幸福感」は、一時的な「状態」にすぎず、やがて薄れ、心は再び「次」の対象を探し始めます。

なぜ、私たちは、この「追い求める」という行為そのものを、やめられないのでしょうか。 まるで、何かに「引力」で引かれているかのように。

この記事では、この根源的な「問い」の答えを探求します。 その答えは、『存在の科学と生きる技術』が示す、驚くほどシンプルで、しかし深遠な「真実」に隠されています。 私たちが幸福を追い求めるのは、私たち自身の「意識の根源」が、幸福そのもの、すなわち「至福(Bliss)」だからです。


幸福の二つの側面:「相対的な幸福」と「絶対的な幸福」

まず、私たちが「幸福」と呼ぶものには、二つのまったく異なる「質」があることを理解する必要があります。

一つは、「相対的な幸福」です。 これは、私たちの「心(意識)」が、「五感」を通して「外界の対象」と接触することで得られる幸福です 。 美味しい食事、美しい音楽、愛する人との時間。 これらはすべて、素晴らしく、価値のある幸福です。

しかし、これらは「相対的」です。 つまり、「対象」に「依存」しています。 対象がなくなれば、その幸福も消えてしまいます。 そして、心は、その幸福を「維持」するため、あるいは「もっと大きな」幸福を得るために、次の対象を「追い求め」始めます。 これが、「追求の無限ループ」の正体です。


私たちが本当に「求めている」もの

では、私たちが本当に求めているものは、この「相対的な幸福」なのでしょうか。 もしそうなら、一つの対象が消えた時、私たちは絶望するはずです。 しかし、私たちは、次の対象を探し始めます。

これは、何を意味するのか。 それは、私たちの「心」の本質が、「常により大きな幸福の場へと向かう」という、止められない「傾向」を持っていることを意味します

この「傾向」こそが、「なぜ私たちは幸福を追い求めるのをやめられないのか」という問いへの、第一の答えです。 それは、私たちの「意識」に組み込まれた、最も根源的な「衝動」なのです。 心は、まるで「引力」に引かれるように、常に「より大きな幸福」へと向かっていきます。


哲学的な真実:「存在」の本質は「至福(アーナンダ)」である

では、その「引力」の源、すなわち「最も大きな幸福」とは、一体どこにあるのでしょうか。 それは、「相対的な世界(外界の対象)」にはありません。 それは、私たちの「意識」の、最も深い「源泉」にあります。

ここでも、「心の海」の比喩に戻りましょう。 私たちの心は「海」です。 外界の対象(相対的な幸福)は、海面に浮かぶ「美しい泡」のようなものです。 心は、その泡に惹かれます。

しかし、心(海)の最も自然な傾向は、泡ではなく、その「泡」を生み出す、自分自身の「深海」へと向かうことです。 なぜなら、その「深海」こそが、「最も大きな幸福」の源泉だからです。

『存在の科学と生きる技術』は、この「心の深海」、すなわち「思考の源泉」である「存在(そんざい)」あるいは「純粋意識」の本質を、哲学的に定義しています。 それは、サンスクリット語で「サット・チット・アーナンダ」と呼ばれます

・「サット(Sat)」: 絶対的な「存在」
・「チット(Chit)」: 純粋な「意識」
・「アーナンダ(Ananda)」: 無限の「至福(Bliss)」

これが、この記事の核心です。 私たちの「意識の根源」は、空っぽでも、無でもありません。 その「性質」そのものが、何にも依存しない、無限の「至福」なのです。

私たちが「幸福を追い求めるのをやめられない」本当の理由。 それは、私たちの「心(波)」の本質が「至福(海)」であり、 波が、自らの「本質」である「海」へと、 無意識のうちに「帰りたがっている」からなのです。 私たちは、「幸福」を探しているのではありません。 「自分自身」の「本質」に、帰ろうとしているのです。


テクノロジーの核心:「幸福」を「体験」する方法

この「哲学的真実」は、どうすれば「体験的真実」になるのでしょうか。 「私の本質は至福である」と「考える」ことでは、幸福にはなれません。 それは、海面に浮かんだ「波」が、「私の本質は海だ」と「分析」しているにすぎないからです。

「体験」するには、波が波立つことを「やめ」、 「海」そのものに「帰り着く」しかありません。 これこそが、「超越(ちょうえつ)」のプロセスです。

ここに、TM(超越瞑想)が「意識のテクノロジー」と呼ばれる所以があります。 超越瞑想は、 「幸福になろう」と「努力」する技術ではありません。 「幸福へ向かう」という心の「自動的な傾向」を利用する技術です。

心は、「相対的な幸福(泡)」の魅力よりも、 「絶対的な幸福(海)」の魅力のほうが、 はるかに「大きい」ことを知っています。

超越瞑想を実践すると、心は、何の努力もなしに、 「考える」という海面の活動をやめ、 自らの「本質」である「至福(存在)」の源泉へと、 自動的に、そして自然に「沈んで」いきます。


「状態」から「性質」へ:生き方そのものの変容

この「超越意識」(第四の意識状態)を体験する時、 心は、「対象」から「幸福」を「得ている」のではありません。 心は、「幸福(至福)」そのものに「なって」いるのです。 これこそが、「幸福は『状態』ではなく『意識の性質』である」という真実の「体験」です。

1日2回、この「意識のテクノロジー」によって、 自らの「本質(至福)」に触れることを繰り返すと、 私たちの「生き方」そのものが変容します。

神経系に蓄積された「ストレス(錆)」が浄化され 、 心は「至福」の「滋養」を吸収します 。 その結果、心は「空っぽ(渇望)」の状態から、 「満たされた(充足)」状態へと変わっていきます。

もはや、私たちは、「相対的な幸福(泡)」を必死に追い求める「探求者」である必要がなくなります。 なぜなら、私たち自身が、「絶対的な幸福(海)」の「放射源」となるからです。

「幸福」とは、 私たちが「追い求める」ものではなく、 私たちの「内側」から「溢れ出す」ものなのです。


まとめ

  1. 私たちが「幸福」を追い求めるのをやめられないのは、心の「本質」そのものが、「常により大きな幸福へ向かう」という「傾向」を持っているからです 。
  2. 「相対的な幸福」は「対象(モノや状態)」に依存しますが、「絶対的な幸福」は「意識の根源」にあります。
  3. 『存在の科学』は、この意識の根源である「存在」の「性質」そのものが、無限の「至福(アーナンダ)」であると定義しています 。
  4. 超越瞑想は、心の自然な傾向を利用し、意識を「超越意識」(第四の状態)へと導き、この「哲学的真実」を「体験的真実」に変える「意識のテクノロジー」です。これにより、人は幸福を「求める」側から「放射する」側へと変容します。

「幸福」は、 あなたが「行く」べき、 遠い「目的地」ではありません。 それは、 あなたが「帰る」べき、 あなたの「故郷(源泉)」なのです。

さて、私たちは、 「幸福」の「本体」が、 私たちの「意識の根源」にあることを知りました。

では、私たちが「不幸」や「不運」と呼ぶもの、 すなわち「カルマ」の法則は、 この「意識のレベル」から見ると、 どのように解釈できるのでしょうか。

次の記事では、 「『運命』は変えられる?過去のストレスが未来に与える影響を断ち切る方法」 と題して、超越が、 いかにして「過去の束縛」を 解消するのか、そのメカニズムに迫ります。

********************

〈 TM教師が解説する「超越瞑想」シリーズ 〉をお読みいただき、ありがとうございます。

  1. シリーズの旅を、さらに続ける
    この学びをさらに深めるために、他のテーマもご覧になりませんか?

    下にスクロールするとシリーズの「次のテーマ」に進めます。

  》》》〈 TM教師が解説する「超越瞑想」シリーズ 〉 全記事リストへ戻る


  1. 知識を、あなたの「体験」へ
    最も直接的で、科学的に検証された方法で、あなた自身の内なる静寂に触れてみませんか。

    》》》TM(超越瞑想)サイト TOPページへ




  2. 源泉の叡智に、直接触れる
    このシリーズの源泉となったマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの歴史的著書。その深遠な知識を、あなたの人生の羅針盤に。

  》》》マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著「超越瞑想」の購入サイト(Amazon)へ